Kurokawaryu

synclをフォローしましょう
お気に入りに追加しますお気に入りに追加 言語切替 syncl

プロフィール

<来歴>
2007年、表参道CUBEにて、最年少で30人の作家展出展、自身の展示品が数万円で購入される等足がかりを経て、ギャラリー銀座にて30人の作家展出展。

2008年、Fujifilm主宰のニューカレドニア美しい日本風景コンテスト入選にはじまり、4度フォトコンテストに入賞。

2009年、ドキュメンタリ映画「愛について」の監督を務める一方、Livehouse&bar「12bunch」創立に尽力。
また、2年間に渡りアート・ライヴ、ジャンル問わずイベントを13回主催、日本×台湾交流イベントでは、台湾からもアーティストを招待するなどし、多岐に渡って活動。自身も各地で行われるイベントに映像・詩を出展。

2010年、(仮)ALBATRUSのライブ映像を監修。この作品を機に、多数の映像制作に参加。以降、創作活動だけでなく、文化支援事業等のプロジェクトにも帯同。

2011年 東日本大震災直後、イギリス滞在中の友人と協力し、被災者のみならず、全日本人に向けた世界からのメッセージ映像を制作。チャリティーイベント「Hanta!」からのオファーを受け、出展。
10月には国民文化祭において、自身の詩が京都府教育委員長賞を受賞。

11月、日藝祭において菅賢治氏、中村獅童氏、小山薫堂氏の参加協力の下、東日本大震災を発端にしたパネルディスカッションイベント「Generation Mix」を主催。



現在、日本大学芸術学部放送学科在学中
イベント学会準会員

仕事のご依頼・ご要望はこちらまで
961ryu@gmail.com



このホームページに掲載されている、すべての画像、文章、作品はKurokawaryu有する著作権により保護されております。著作権者の許可なく、複製、転載等の行為をお断りいたします。


Copyright(C) 2010 KurokawaRyu. All rights reserved.


詳細 >>

QRコード

携帯電話からアクセスしよう!
クリックで拡大します
URLをメールで送信

RSS RSS

フレンド一覧

コミュニティ一覧

参加しているコミュニティがありません。 コミュニティを探す

synclメッセージ

日陰で五年はがんばろう

些末な積み重ねがいつかの自分を救うのだと人にも自分にも言い聞かせてきたけれど、今日それを浴びるように実感している。人の理解を越えたものだとしても、茨の道だろうとも、継続できれば過去から今へ贈り物が届く。砂塵の様な少年のプライドを離さずにいた者は、現実の壁を越えた夢がきっとみえるね

2012-05-16 18:33:16投稿者 : クロカワリュー
この記事のURL  あしあと

能の話と歌舞伎の話


先日、国立能楽堂にて演じられたお能「隅田川」に招待して頂いたのだけれど、前評判同様、これまで触れた事の無いほどにゆったりとした時間軸で進行する様に驚いてしまった。僕自身を招待してくれた方もそうだけど、来場者は俗に言う「お偉いさん」が多いようで、隣席は某市の市長だったりとブルジョア的な一種の見せ物を体感した気分になった。人生に一度は見てみた方がいい、と僕は強く推すけれど、二度三度、と興味が続くことは難しいような気もする。
まさに未知との遭遇だったわけで、僕は演目中「何故このようなものが六百年間もの間に淘汰されずに今日も残っているのだろうか」といった問いを答えに導くべくあら探しを延々としていた。動きは極端に少ない、入場だけに10分〜20分もかかる、文庫本1ページ分の内容を1時間程度かけて読む程にゆっくり、と、時間に追われた現代人の生活を思うとあまりにもそれは贅沢な時間の使い方だった。

そもそも、僕がお能に行くとは「?」な人も多いことだと思う。その秘密はここ数年の僕の精神性の変遷にあって、興味あるもの、無いもの、の境界線をぼやかし、自分との関係性を全ての対象に拡げることによって、未だ触れていないものを虱潰しに触れていき、あらゆるものを体感しようと企み始めたからである。手塚治虫氏の「いちばん面白いマンガを書きたいならマンガ以外のことをたくさんしろ」ではないけど、あらゆるものを見て触れた経験がいつしか僕のひとつの作品に映ればそれでラッキー。そんな発想から、何にでも顔を出している。歌舞伎から骨董市、就活からホームレス、エロ本から倫理書まで、なんにでも実際に触れてみる。日を改めて書くが、つい最近では知らない人たちと河原で家をつくったりもした。とにかく、自分がひとつの絵になった、なんていう幻想は今一度捨て、自分が今日も真っ白のキャンパスであることを日々知らせ、日々絵を描いていくことにした。とはいえ、歌舞伎やお能に招待してもらえたり、通常はお目に掛かれないものに声を掛けてもらえる幸運も、僕がすべてに触れようと思える一つの風向きなのだと思う。

話は国立能楽堂に戻り、三部構成の内の一つの狂言にも触れるとすれば、その演目にてシテを演じた野村萬斎氏の演技はどこか懐かしい面白味があった。彼は映画「陰陽師」だけでないのである。と改めて思ったりした。野村萬斎氏で思い出したけれど、昨年、市川団十郎氏、市川海老蔵氏による歌舞伎の開演前日稽古に呼んで頂いた際のこと。香川照之氏のお父さんであり、歌舞伎界の大御所である市川猿之助氏が歩くのもままならない様子で両脇を親族に抱えられて僕の前方に入って来た。あの調子では普段はおそらく車椅子で移動しているのだろう。稽古を終えた海老蔵氏がさっそく猿之助氏のもとに挨拶をしに駆けてきたのだけど、しばらく話し込んでいる。するとよろよろだったはずの猿之助氏が一瞬演技指導の為に立ち上がり、数秒間見得を決めた。僕はその姿、その所作のあまりの美しさに言葉が出なかった。歌舞伎に対する知識が殆ど無い僕にもわかる完璧な動きだった。横でそれを共に見ていた解説者の方も唖然としていて、「今の見ました?」と僕が尋ねると「すごかったね〜、驚いたね〜」と2人して目を見開いたまま感動していた。その時僕は、一流とはこういうことを言うのかもしれないと漠然と思ったのだった。年齢や状態や状況やあらゆるものを越えた力が宿る事、そんなかんじがした。結局、お能の話では無くて歌舞伎の話になったね。話がすぐ脱線する学校の先生が好きだったな。




2012-05-16 03:33:22投稿者 : クロカワリュー
この記事のURL  あしあと

睡眠が不足していると


「セックスより気持ちいい瞬間をどこかで持つ事が出来るかどうかで男の価値が決まる」ではないけれど、先日制作チームで眠い目をこすり、朝焼けと出会うまで映像編集をしていた瞬間瞬間に、自分がものづくりに何よりの快感をおぼえることを改めて自覚した。耳かきよりもそれこそファーストキスよりも、圧倒的に気持ちよかった。
詩であれ企画であれ映像であれ、要するに個であれ集団であれ、形式によらず、単純に吐き出したいという衝動を錬磨し表現に変えるという刹那に居座り続けられれば僕はそこに生きる意味を造り出せるのだろうし、これまでとは違い集団というアイデンティティを橋で繋いだ一つの個体から初めて見る階層でその快感を味わえた事は新鮮な一歩だった。
かたち、物質というものに拘らず、自分の生き方生き様をクリエイションとして見なし生きていくことが僕の大義名分で、そのひとつずつの枝分かれした源泉が、納得のいかない世の慣習を変えたいというような思いであったり、同時代的に刻々と凄惨な苦しみと無作為に生じ続ける地獄を気にせずにはいられないという志に還るのだと思う。これまでは出発点がこの源泉にある理由で、その理由が何よりの旗になっていたのだけれど、幾度かの殻を破って、行動と思想の連続性の残像に理由を含ませることができるようになった。これは大きい。僕が楽しんでいる、気持ちよくなっている、それが結果的に僕の変えたいものを変えていき、残したいものを残しているという循環ができたことを示すからだ。
人間は理論より感覚で反応する、理屈より本能で感じている、だから、楽しい、気持ちいいは強い。僕の場合、その暗部に人類への願いと、未来に対する責任感が、、、
偽善的であるとか道徳的であるとか倫理的とかそういう類いはなんだか跳び箱をとぶように越えていて、僕自身がこうしたいということをこの場所で実現し続けることが重要で、明後日僕は楽しいし世界は今よりは笑えるという可能性に賭けてもおもしろいんじゃないかと今日思う。

今だぞ、いま、今しかないんだすべては、時計は人間がつくったし時の概念も人間が信じているだけのもの、とらわれるな、とらえろ今を。越えられるものを越えろ




2012-05-10 05:36:50投稿者 : クロカワリュー
この記事のURL  あしあと

お気に入り

お気に入りがありません。

レコメンド

COMING SOON...

オフィシャルブログ